久里浜の文化や歴史を子どもたちに発信している「久里浜の文化を考える会」が、久里浜の街を俯瞰的に親しむことができるお散歩MAPを制作しました。

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紙の「お散歩MAP」をご希望の方は、久里浜行政センター(4番窓口) でも無料配布しています。お気軽にお声がけ下さい。
紙とPDF版の地図には、「おすすめの散歩コース」や「久里浜に所縁のある有名人」の解説、「一言コメント」なども掲載されています。



佐原地区

01 御霊神社 [ごりょうじんじゃ]

仁平元年(1151 年)に創建された佐原の鎮守で祭神は鎌倉権五郎景政。佐原城主を命じられた佐原十郎義連が、兵士の士気を鼓舞するために武士の鑑というべき景政の肖像を城の対岸の丘に掲げたのが始まりと言われている。 ●京急バス「常勝寺前」徒歩5分

02 常勝寺 [じょうしょうじ]

天正12 年(1584 年)、14 世日生上人が大矢部の常泉寺から本堂を移し、寶泉山常勝寺とした日蓮宗寺院。横浜横須賀道路の佐原インター建設の際、若干北寄りに移築するという大事業があった。 ●京急バス「常勝寺前」徒歩5分

03 太子堂聖徳院 [たいしどうしょうとくいん]

元禄2年(1689 年)久里浜千駄ヶ崎の海中から漁師の網で引き上げられた聖徳太子像を海岸の小屋に安置したところ、不漁や難破が相次いだ。里人の夢枕に立った太子が自ら座るのにふさわしい場所を教え、現在の場所に安置された。当初曹洞宗だったが後に日蓮宗に改宗。縁日には聖徳太子を信仰する職人さんたちで賑わう。 ●京急バス「佐原三丁目」徒歩5分

04 正覚寺 [しょうがくじ]

加藤清正公を日蓮宗の守護神として祀り、日蓮上人座像の脇に清正公座像がある。小寺であるが、旧家の但馬家が代々に渡って守っている。墓地の中央には但馬家の墓碑がある。 ●京急バス「常勝寺前」徒歩5分

05 佐原城址 [さはらじょうし]

佐原城城主は三浦大介義明の末子、佐原十郎義連。平家討伐の際、源義経に従い、「鵯ひよどり越え」の際に崖の険しさに尻込みする諸将を尻目に進み出て、真っ先に駆け下りた武勇は平家物語に記されている。佐原城は山の険しさを利用した山城であったが、現在は道端に里人が建てた石碑が残るのみで、当時を忍ばせるものはない。 ●京急バス「久里浜電話局」徒歩10 分

06 茅山貝塚 [かやまかいづか]

神奈川県指定史跡。慈眼院本堂左側を通ると畑があり、現在は入口に貝塚の説明板のみがある。表面に貝殻のすじ跡のある茅山式土器が出土。対岸にある吉井貝塚とは年代的に一致するところもある。 ●京急バス「茅山」徒歩2分

07 慈眼院 [じげんいん]

普門山慈眼院。日蓮宗。漁師が海中から引き揚げた観音像を祀ったお堂が起源。寛文元年(1661 年)に日進上人によって日蓮宗のお寺とされた。高台にあり内川を一望できる絶景ポイント。「桜の寺」とも呼ばれ、4 月に開かれる花まつりも有名。 ●京急バス「茅山」徒歩2分

08 茅山庚申塔 [かやまこうしんとう]

中国道教で、60 日に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日の晩、就寝中に人間の体内にいる三尸の虫が抜け出し、天帝にその人間の悪罪を告げ命を縮める、という教えがある。庚申の晩に近所の人間が集まり、虫が抜け出さないよう飲食やおしゃべりで夜を明かしたことを庚申講といい、庚申塔はその人々によって建てられた。当時は疫病等を防ぐ意味で集落の境にあったが、近年は開発の都合等で一カ所にまとめられることが多い。 ●京急バス「茅山」徒歩2分

岩戸地区

09 満願寺 [まんがんじ]

佐原十郎義連が平家討伐で西国に赴く際、木造観音菩薩像をこの地に安置し出立。戦果を上げ帰国して後、満願寺を創建したと言われる。国指定重要文化財、横須賀市指定重要文化財等の仏像があり、文化展や座禅会等が開かれている。 ●京急バス「岩戸」徒歩5分

10 熊野神社 [くまのじんじゃ]

創祀は保元2年(1157 年)と伝えられる旧岩戸村の鎮守。祭神は天照大神、応神天皇、大国主命の三神。三浦大介が衣笠籠城の際に家族や老人・子どもを避難させたが、落城の際に神社も炎上。文治元年(1185 年)に佐原十郎義連が再び社殿を造営。その後の武勲で十郎が会津四郡を賜り移ったため、里人崇敬して氏神佐原神社となり、社地の名称熊野森から熊野三社大神、後に熊野大神と改称した。 ●京急バス「岩戸」徒歩5分

久村・八幡地区

11 等覚寺 [とうがくじ]

天正12 年(1584 年)、日大上人が創建した日蓮宗寺院。非常に珍しい、身延山久遠寺の直末(直接本山に属している)の寺院。特徴のある屋根は茅葺きから瓦に替えられただけで、骨組みその他は創建当時のものを補修しながら使用。春には見事な花を咲かす枝垂れ桜の大木がある。 ●京急バス「茅山」徒歩7 分

12 正業寺 [しょうごうじ]

鎌倉光明寺の名僧、入誉元清が建立したが、再度に渡り荒廃し、元禄11 年(1698年)に内川新田を開発した砂村新左衛門の甥、新三郎・新四郎が現在の場所に移築した。浅草→内川新田と移され、第二次世界大戦の折に軍部の接収にあった砂村新左衛門夫妻の墓がある。 ●京急久里浜駅徒歩11 分

13 八幡神社 [やはたじんじゃ]

創建は養老4年(720 年)と言われる、応神天皇(誉田別命)が祀られる旧八幡村の鎮守。徳川家康から三石の社領を寄進され、代々の将軍から頂いた12 枚の御朱印状が社宝。拝殿正面の社名額は太政大臣三条実美の筆になるもの。天井の龍の絵は八幡村の名主であり文人の長島尚賢(長島雪操)が描いたもので、横須賀市の重要文化財である。 ●京急久里浜駅徒歩8分

14 御滝神社 [みたきじんじゃ]

祭神は瀧口五郎盛定。久村の旧家に残る古文書に「谷戸一体に水を供給する湧水【御滝の名水】に感謝し、社を建て御瀧権現として祀った」と書かれている。 ●京急久里浜駅徒歩17 分

15 御滝の名水 [みたきのめいすい]

御滝神社に向かって右方向に小さな「滝不動」が祀られている。ここが御滝の名水が湧く場所で、今もこの水を引き込んでいる家の屋号を「滝本」という。傍らには高さ40cm ほどの「滝不動」像がある。 ●京急久里浜駅徒歩17 分

16 長安寺 [ちょうあんじ]

天文2年(1533 年)創建と伝えられる浄土宗、亀養山松樹院長安寺。然誉上人が亀を可愛がって長生きしたことから付けられた山号である。ご本尊は阿弥陀三尊像、境内右側に不動堂があり、横須賀市の文化財に指定された「木造不動三尊像」が安置されている。境内には「火伏せ不動」と呼ばれる石造の不動明王座像や関東大震災の慰霊碑がある。 ●京急久里浜駅徒歩8分

17 尻こすり坂開鑿記念碑 [しりこすりざかかいさくきねんひ]

久里浜から三崎に通じる「尻こすり坂」は、下る時に「尻が地面に擦れるほど」の難所であったため、勾配を緩める工事が必要であった。しかし江戸時代末期に八幡村名主六兵衛、その子長島尚賢の2代に及ぶも果たせず、孫の安尚が思い悩んでいたところ、三浦郡長小川茂周が三浦郡全体に呼びかけ、そのかいあって明治17 年に着工、18 年に竣工した。碑の裏には発起人78 名の氏名が記されている。 ●京急バス「尻摺坂上」徒歩2分

吉井地区

18 怒田城址(吉井貝塚) [ぬたじょうし(よしいかいづか)]

三浦氏が平安末期に吉井貝塚(神奈川県指定遺跡)のあった台地に怒田城を築いた。城主は三浦大介義明の孫・和田義盛。当時は海であった城の東側には水軍の船を留める倉があり、その名残りが現在の地名「舟倉」である。現在は公園になっており、案内板と堀跡がある。 ●京急バス「内川新田」徒歩10分

19 法善寺 [ほうぜんじ]

開山当初は真言宗の寺院だったが、1480 年頃に、連如上人の教えに感銘を受けた当時の住職、法憧坊善性が浄土真宗に改宗し、住職の名から2文字を取り、法善寺となる。本堂の格天井には243 枚の色鮮やかな花の絵が描かれている。 ●京急バス「吉井」徒歩3分

20 眞福寺 [しんぷくじ]

享禄元年(1528 年)に一誉清光の開山と言われている。普段は拝観できない聖観音をはじめ、「波の伊八」と言われる彫師・武志伊八郎の大彫刻「黄石公張良」、キリスト教との関係が暗示される「抱児観音」、観音堂格天井の花や生物の48枚の絵など貴重なものが残されている。 ●京急バス「吉井」徒歩4分

久比里地区

21 宗円寺 [そうえんじ]

鎌倉からこの地に来た臼井惣左衛門(慶西院満誉宗圓)が、享禄元年(1528 年)、現在の若宮神社の場所にあった真言宗慶西院を廃し、宗円寺を建立した。境内に現世の利益と来世の極楽行きを願う両面地蔵や、足腰の病気が治るという高さ2mあまりの庚申塔がある。 ●京急久里浜駅徒歩10 分

22 若宮神社 [わかみやじんじゃ]

享禄4年(1531 年)臼井惣左衛門が鎌倉の鶴ケ岡若宮明神を奉載して建立したと言われる。祭神は仁徳天皇。「新編相模国風土記稿」に「社の床下に中程がくびれた石があり、これが久比里の地名の基となった」とある。 ●京急久里浜駅徒歩10 分

23 浦賀港拓道碑 [うらがこうたくどうひ]

八幡村(現在の久里浜2・3丁目と4丁目の一部)出身で、江戸で奉公の末、質屋の婿として迎え入れられ財を成した峯島茂兵衛が、故郷の久比里坂から浦賀に抜ける急坂で人々が難儀していたのを思い出し、私財でこれを切り下げる工事を浦賀奉行所に願い出て、明治4年に見事工事を完成させた。碑は茂兵衛の功績をたたえ、明治5年に建てられた。 ●京急バス「久比里坂」徒歩5分

内川地区

24 内川新田開拓記念碑 [うちかわしんでんかいたくきねんひ]

当時は数少なかった土木工事指導者の砂村新左衛門が、万治3年(1660 年)から8年を費やして完成させた内川新田開発工事の記念碑。横須賀市内最大の新田工事であった。後に新左衛門は江戸で没したが、墓は久村の正業寺にある。 ●京急久里浜駅徒歩5分

25 ペルリ上陸記念碑道標 [ぺるりじょうりくきねんひどうひょう]

明治41 年(1908 年)に建立された、久里浜海岸近くの「ペルリ(ペリー)上陸記念碑」に導くための道標。以前は違う場所にあったが道路の拡張でここに移された。ローマ字が記載されているものは全国的にも珍しい。と言われる。 ●京急久里浜駅徒歩5分

26 海軍工作学校跡の碑 [かいぐんこうさくがっこうあとのひ]

久里浜公園の一角にある。昭和16 年(1941 年)この地に海軍工作学校が創設された。太平洋戦争で尊い命を捧げた多くの卒業生の冥福を祈り、昭和52 年(1977 年)に碑が建てられた。毎年5月22 日、慰霊祭が行われている。 ●京急久里浜駅徒歩11 分

27 久里浜天神社 [くりはまてんじんしゃ]

砂村新左衛門が内川新田の開拓工事を始める際、新田鎮護の神社として、現在の大阪市にある福島天満宮より、祭神である菅原道真の御分霊を祀ったのが創建と言われている。天照大神、素戔嗚命も祀られている。「天神さん」と呼ばれ、お宮参り、七五三、合格祈願などで賑わっている。境内には牛乗り天神像がある。 ●京急久里浜駅徒歩5分

久里浜地区

28 蓼原古墳跡 [たではらこふんあと]

蓼原古墳は6世紀中頃に造られた帆立貝形前方後円墳。昭和53 年(1978 年)・昭和55 年(1980 年)に市立神明小学校建設に伴う調査で発見された。多くの埴輪が出土し、中でも琴を弾く男性の「男子弾琴椅座全身像」(横須賀市自然・人文博物館所蔵)は全体の形状が確認できる極めて貴重なものである。神明公園の一角に案内板のみがある。 ●京急久里浜駅徒歩5分

29 ペリー上陸記念碑・ペリー記念館(ペリー公園) [ぺりーじょうりくきねんひ・ぺりーきねんかん(ぺりーこうえん)]

久里浜海岸前のペリー公園にある記念碑と記念館。嘉永6年(1853 年)にアメリカ海軍提督マシュー・ペリーが久里浜海岸に上陸したことを記念して明治34年(1901 年)に建てられた。碑文は伊藤博文の筆によるもの。記念館内にはペリー来航に関する資料や模型が数多く展示されている。 ●京急バス「ペリー記念碑」前 ●ペリー記念館 定休:月曜(休日の場合は翌日)・年末年始

30 薬師堂跡 [やくしどうあと]

この辺りに薬師堂があったとの言い伝えが残っているものの、長い間場所の特定に至らなかったが、平成3年(1991 年)横須賀市教育委員会の調査で「薬厳寺」の文字が彫られた墓碑が散乱しているのが発見された。薬師堂のご本尊「木造薬師如来像」は [33]伝福寺に安置されている。 ●京急久里浜駅徒歩15 分

31 くりはま花の国 [くりはまはなのくに]

小高い山を中心とした、春はポピー、秋はコスモスなど四季折々の花が咲き乱れる花をテーマとした公園。首都圏最大級のハーブ園をはじめ、レストラン、アーチェリー場、エアライフル場、足湯、ゴジラのすべり台やボルダリング、大型遊具がある冒険ランド等多数の施設がある。 ●京急久里浜駅徒歩15 分 ●営業時間:9:00~17:30(11~3 月は17:00 まで)  定休:月曜(休日の場合は翌日)・年末年始  駐車場有料

32 久里浜庚申塔 [くりはまこうしんとう]

古いものは元禄10 年(1697 年)、一番新しいものは明治28 年(1895 年)に造られたと見られている。東京電力火力発電所の建設の際に、現在の場所に移された全部で6基の庚申塔。庚申塔については [08]茅山庚申塔を参照。 ●京急バス「久里浜港」徒歩8 分

33 伝福寺 [でんぷくじ]

天文2年(1533 年)に創建された浄土宗の寺院。ご本尊は阿弥陀如来。市内では他にない銅で造られた「銅造千手観音菩薩立像」、寄木細工の「多幸地蔵」もある。境内には、徳川幕府の御用金を積んだまま、久里浜沖の海獺島付近で沈没した汽船早丸の慰霊碑がある。尻こすり坂開墾に尽力した長島尚賢(長島雪操)の墓がある。 ●京急バス「久里浜港」徒歩4分

34 住吉神社 [すみよしじんじゃ]

江戸時代の火災により由緒が不明だが、1000 年以上前の創建と言われている。祭神は中筒男命。衣笠合戦の際、三浦一族が戦勝祈願をした。吾妻鏡には、源頼朝が嫡男頼家誕生の際に神馬を奉納したこと、北条政子とともに参拝に訪れたことなどが書かれている。 ●京急バス「久里浜港」徒歩3分

長瀬方面地区

35 海軍機雷学校/海軍対潜学校の碑 [かいぐんきらいがっこう/かいぐんたいせんがっこうのひ]

昭和16 年創設の海軍機雷学校は昭和19 年に海軍対潜学校と改称し、機雷に関する技術、水中における探知機や探針機などの教育がおこなわれた。碑は卒業生約8000 人が戦死した事実を残すために平成5年(1993 年)に建てられた。現在学校の跡地は刑務所・少年院となっているため、碑はバス通り沿いの歩道に建っている。 ●京急バス「法務省官舎前」徒歩1分

36 千代ヶ崎砲台跡 [ちよがさきほうだいあと]

東京湾を臨む高台に造られた砲台の跡。猿島砲台跡とともに「史跡東京湾要塞跡」として、軍事遺跡では日本初の国史跡に指定された。令和3年(2021 年)秋より、土日祝日限定で一般公開が開始された。

久里浜の歴史上の 有名人はこんな方

ひよどり越え一番乗り!
佐原十郎義連
[さはらじゅうろうよしつら]

平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で佐原城城主。相模国の豪族・三浦大介義明の末子。源頼朝の御家人を努め、義経とともに一ノ谷の戦いに赴き、「鵯越え」では真っ先に崖を駆け下りたヒーローとして平家物語に記されている。没年は諸説あり定かではない。 [関連:01 御霊神社 05 佐原城址 09 満願寺 10 熊野神社]

一族を守って城もろともの最期
三浦大介義明
[みうらおおすけよしあき]

平安時代末期の武将で衣笠城城主。佐原十郎義連の父。衣笠城合戦の際に一族を安房に逃した後、ひとり籠城の末戦死している。 [関連:05 佐原城址 10 熊野神社 18 怒田城址(吉井貝塚)]

富豪になってもふるさとを忘れず
峯島茂兵衛
[みねしまもへえ]

八幡村出身。商才があり、江戸で奉公の後、峯島家を継ぎ、大層な財産を築くも、ふるさとの急坂「久比里坂」で難儀する人々が気にかかり、私財を投じて坂を整備、明治天皇に表彰される。 [関連:23 浦賀港拓道碑]

新田開発のエキスパート!
砂村新左衛門
[すなむらしんざえもん]

江戸時代前期の、当時では数少なかった土木事業のエキスパート。各地で多くの新田開発を成功させ、この地で8 年に及ぶ大工事の末、内川新田の開発に成功。その後江戸で没したが、夫妻の墓は久村の正業寺にある。 [関連:12 正業寺 24 内川新田開拓記念碑 27 久里浜天神社]

芸術も事業も・粋な名主さん
長島尚賢
[ながしましょうけん]

長島雪操とも呼ばれ、八幡村(現在の久里浜2・3丁目と4丁目の一部)の名主で、画家であり俳人でもあった。八幡神社に残されている龍の絵は市の重要文化財。尻こすり坂開鑿に尽力した。伝福寺に墓がある。 [関連:13 八幡神社 17 尻こすり坂開鑿記念碑 33 伝福寺]